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小泉泰英によるフィロソフィー

【後半】この世に「完璧」はないのか?それとも「完璧」を人間は認識できないのか?

こんばんは。

今朝の続きである

『この世に「完璧」はないのか?それとも「完璧」を人間は認識できないのか?』の

後半について述べていきたいと思います。

 

【この世の完璧を人間は認識できない】

「この世に完璧はない」 の仮説を昨日は話しましたが、

今日はもう一つの仮説である

「この世に完璧はあるのだけれど、それを人間は認識できない」

について考えてみたいと思います。

 

今朝の続きから、私はキリストの話をしていました。

 

キリストがもし完璧なる存在であったら、

一言の間違いもなく教えを説いていたので、

今は平和な世界かつ全員がキリスト教になっていて、

もはや宗教という概念は無くなっていますよね。

 

でも現実はそうではないですよね。

 

それはなぜか?

 

キリストも人間だから、神?の教えを聞き間違えたのかもしれない。

 

それかキリストは神の子だから完璧なる教えを理解できていたが、

そのあとの伝道者たちが理解できず、間違えたことを広めてしまったか。

 

どちらの仮説も考えられるが、

共通しているところは(神が絶対的な存在だと仮定すると)

人間レベルでは絶対的存在から何かを受けても100%理解することはできないと

私は仮定から自分なりの結論を出しました。

 

でももう一つの仮説がここで生まれました。

 

それは「無意識レベルでは理解していても意識下では100%理解できない。」という仮説。

 

どういうことかというと、人間には意識と無意識があります。

無意識が90%以上を占めており、意識の中でしていることなどほんの少しであります。

 

だから本当は無意識下では100%理解していたとしても、

意識下で生きている私たちはその全部は把握・理解しきれないということです。

 

じゃあどうやったら完璧に(100%)理解できるのに近づくのか?

 

自然の法則を理解することしかないと思います。

私たちが生きている社会には、あらゆるしがらみがあります。

 

このしがらみから抜け出し、自然のなかで生きることで新しい発見があり、

完璧に少しでも近づくためのコツを掴むでしょう。

 

自然の法則を理解するなんて難しいかもしれないけど、

そこはおいおいいつかこのブログでも語っていければいいなと思っています。